ご無沙汰してました、M1の中川です。
今日から学会で福岡に行ってきます。
ブログを書くのは実に半年ぶりですね。
気がついたら部活に行かなくなって4ヶ月くらい経ってました。
近況報告も兼ねて、部活に来なくなった僕が4ヶ月何をしていたのかを書こうと思います。
面白くはないです。
【10月】
個人戦があり、目標どおり大会新で優勝できました。6月からまともに練習積めてなかったですが、腐っても43分台で歩けることができてよかったです。
実は6月以降、研究の本格化のみならず気持ちの面でも陸上に向かわなくなっている部分がありました。そういった経緯もあり、個人戦が終わったらいったん陸上を休もうと思っていました。
こうして部活に行かなくなり始めます。
【11月】
10月から研究室に超絶美女留学生がやってきて、研究室の男どもは口にこそ出さないものの鼻息が荒くなりました。僕にとっても綺麗な方が研究室にいてテンションが下がるということはありませんし、彼女と話せればスピーキングの練習になる!という気持ちもあって、いいことづくめでした(無駄に紳士ぶる)。
そう思っていた矢先、研究室でのゼミ発表が、日本語を話せない彼女のために全て英語になりました。僕は泡を吹きました。
発表、スライド、質問、全て英語。重い。重すぎる。準備が今までより3倍ぐらいかかるようになりました。
【12月】
12月に入る手前ぐらいのミーティングのことです。助教が突然「おいタケシ、学会に論文出そうぜ!」と陽気なノリで提案してきました。学会?分野を変えて1年も経ってないのにこいつは何を言ってるんだ?そう思いましたが、敷居が低い学会だの分量が少ないだのM2までのステップだのいろいろ宣伝されて、ホイホイついていってしまいました。
誘いに乗ったものの、提出が1月中旬とのこと。それまでにプログラムを書いて、回して、分析結果を出し、論文を書く、というのは今から思えばかなり過密でした。おまけに12月には学科の人に自分の研究の基礎知識を90分講義するとかいう謎の研修があり、それの準備と先述の英語ミーティングの準備が並行して、全く余裕がなくなりました。プログラムはエラー出まくりで完成しないし、謎研修では隣の研究室の教授から「君のやっていることは研究じゃない」とコメントを受けメンタルを粉々にされ、毎日終電で家に帰り、冬休みに入っても論文執筆に時間を食われ、気がつけば僕の心の拠り所は"Fate Grand Order"だけになっていました。
【やらかす】
冬休みに突入し帰省したものの、データを解析するためのプログラムが完成してなかったので実家で作業する羽目になりました。これが現代社会の闇。在宅勤務!いつでもどこでも自由に働ける!ノー残業!なんて耳当たりのいいこと言ってる会社の実態がこれなんだろうな。などと考えていたら、束の間の休息で地元の友達と旅行に行く日が来ました。とても楽しみにしていた旅行で、一泊二日はしゃぎました。雪の混じる鳥取砂丘はエモかった。
ところがこの旅行のシメの忘年会で僕はついに力尽きました。6800円飲み放題食べ放題の焼肉が準備され、宴を始めようとした矢先、
"ヴッッ"
息ができなくなってその場に倒れました。僕は人生終わったと思いました。よくわからんけどこのまま死ぬんだろうなと思うとどうしようもなく怖かったです。この日が人生初救急車でした。
まぁ、搬送された頃には状態が落ち着いてたのですが。
ただでさえ学業のストレスで体力を奪われた中はしゃいだせいで、過呼吸を引き起こしたのだろうという診断でした。
6800円の晩飯はおじゃんになり、友達には心配をかけ、本当にいたたまれなくなりました。
【耐える】
1月に入っても動悸が時々出て不安だらけでしたが、これはタスクを終えないと治らないと思い、必死でかじりつきました(箱根駅伝だけは譲らず見た)。気持ち悪さと戦いながらなんとか拙い論文を完成させ、開放感も束の間に鬼の期末レポートラッシュへ。しかし院から専攻を変えた僕にとっては普通の授業でさえヘビーで、課題ひとつひとつがキャパオーバーでした。7つのレポートを終わらせるのに休みほぼなしで2週間かかり、ようやく僕は解放されました。
【代償】
体は正直で、無理をした分のツケが回ってきました。レポートを終えてすぐにインフルエンザにかかりました。まぁそれはすぐ治ったのですが、インフルエンザが終わっても年末以降続いている自律神経失調症で、夜寝れない、朝起きれない、咳が止まらない、胸が痛い、鼻がつまる、動悸がするなどの症状が出ています(まだ完治してません)。
【復活…?】
というわけで、4ヶ月間学問の闇に揉まれて、自分には学問が向いてないことがわかりました。研究始めたての頃は「面白いやん!これDもアリじゃね?」なんて考えていたのですが、想像の346倍はシビアでした。早く就職したいです。
競技について。昨年の秋は本当に辞めようかと思いました。それは中学から毎年記録を伸ばしてきた僕にとって、記録を伸ばすことこそが陸上競技の醍醐味であり、結果が出せなければやる意味もないし楽しくないと考えていたからです。でも4ヶ月離れてみて、自分の11年間の陸上生活を振り返ってみて、もう自分の結果とかプライドとかそういうものだけでは辞められないくらいに陸上に関わっているのだということに気づきました。なので、今しばらくは陸上に関わるのが楽しいから、という理由で続けていこうと思います。
不思議なことに、研究が忙しければ忙しいほど、逃げるようにjogしていました。おかげさまでまだキロ5くらいでは歩けると思います。ちなみにこの間実家で5000T.T.したら24'42でした。まずはまひろちゃんやただすけ、もぉりぃと一緒に練習するところから始めていこうと思います。
長くなりましたが以上です。次はもっと楽しい話題を書こうと思います。
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